2017年9月29日金曜日

関西の変わったお祭り

時代祭り
京都府京都市:平安神宮
10月22日
京都三大祭りの一つ。今までの時代を表わした行列が、京都市内を練り歩く。行列は明治維新から始まり、次いで江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と8つの時代を20の列、牛や馬を含む総勢約2000名で構成され、約2kmもの長さで約3時間にもなる。綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品は1万2000点にも及び、京の伝統の技をもってそれぞれの時代を細部まで再現されており、その豪華絢爛な行列はまさに“生きた時代絵巻”である。


鞍馬の火祭
京都府京都市左京区:由岐神社
10月22日
鞍馬の町が、松明とかがり火で埋め尽くされ、危険と隣り合わせのその豪快さを持つ京都三大奇祭の一つ。
1.18時頃より、「神事にまいらっしゃれ」という神事触れの合図により集落の各戸に積まれた松明に点火。
2.初めは主に子どもが小さな松明を、その後は大人が比較的大きな松明を持って「サイレイヤ、サイリョウ」(祭礼や、祭礼の意)のかけ声と共に集落内を練り歩き御旅所へ向かう。
3.20時頃より、各仲間からの大松明が鞍馬寺山門前に向かう。各松明は山門前にひしめき合い、その後石段下の一ヶ所に焼き捨てられる。
4.石段奥の注連縄が切られて、八所大明神、由岐大明神の順序で神社から神輿が下る。参道が急なため、スピードが出過ぎないように女性が綱を牽く(この綱を牽くと安産になると伝えられるので、若い女性が多く参加している)。
5.神輿が降りる際、ふんどし姿の男性が担ぎ棒にぶら下がるが、これを『チョッペン』という。これは元服の儀式であり、鞍馬の男性にとっては一生に一度となる成人の儀式である。
6.神輿が集落内を練り歩き、御旅所に安置される。
7.神楽の奉納のあと、神楽松明が境内をまわる(24時頃終了)。
8.翌2時頃、神輿が御旅所から神社に戻る「還幸祭」が行われ、祭事のすべてが終了する。

太秦の牛祭り
京都府京都市右京区:太秦広隆寺
不定期開催(10月中旬)
京の三奇祭の一つとされている。仮面を着けた「摩吒羅(またら/まだら)神」(摩多羅神)が牛に乗り、四天王と呼ばれる赤鬼・青鬼が松明を持ってそれに従って四周を巡行し、薬師堂前で祭文を独特の調子で読んで参拝者がこれに悪口雑言を浴びせる。祭文を読み終わると摩吒羅神と四天王は堂内に駆け込む。

丹生祭(笑い祭)
和歌山県日高郡日高川町:丹生神社
10月8日 毎年体育の日の直前の日曜日に催される「丹生祭」は県無形民俗芸能に指定されており、奇祭「笑い祭」として有名で、先達(鈴振り)が道化た衣装と化粧で町内を「笑え、笑え」と練り歩く光景は、何とも陽気で楽しい。

八瀬 赦免地踊り
京都府京都市左京区八瀬秋元町:八瀬秋元神社
10月8日
祭りの中心は「切子灯籠」で、灯籠踊りともいわれ室町時代の風流踊りの面影を残している。切子灯籠は高さ約70センチで赤い紙に「透かし彫り」(武者絵や動物、風景などの絵模様)を白の地紙に張ったもので毎年各町ごとに一対製作する。
赦免地踊りは次の人々によって奉納される。
 十人頭 - その年満30歳になる青年十人で、祭り一切を取り仕切ります。
 灯籠着 - 8名、女装した男子(13~14歳)
 警 護 - 8名、灯籠着の補助役
 踊り子 - 10名女子児童(10~11歳)
 音頭取り衆- 6~7名     太鼓うち - 1名
 新発意 - 各町よりでて狂言等を行う


松原八幡神社秋季例祭(灘のけんか祭り)
兵庫県姫路市白浜町:松原八幡神社
10月14日・15日
全国の数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りで、時々死者が出ることもある。祭礼は、14日の「宵宮」で幕を開け、各村の氏子たちがそれぞれの村の屋台を担ぎ上げ、松原八幡神社に赴き祭礼気分を盛り上げる。
そして祭り本番の15日の「本宮」は、祭礼の主要行事である御旅神社への神事渡行を氏子たちが精力を傾けて執行し、日暮れ時に神輿は松原八幡神社へ還御、屋台はそれぞれの村に帰着して祭行事の幕を閉じる。


お祭りに ハッピ を着ていれば、こっそり参加してもバレない。かも知れない。


2017年9月27日水曜日

ゴキブリにも天敵がいる


日本人はゴキブリが嫌いである。それは、見た目がキモいとか動きが速く空も飛ぶとかバイ菌を運ぶからとかいわれる。見た目は個人の好みだし、昆虫は大抵速く動いて空を飛ぶ。ゴキブリは通常バイ菌は運ばない。犬なんかの方がよほど不潔である。
そういうお前はゴキブリを手で掴めるのか!と言われると、もちろんできない。以前ゴキブリをはえたたきで思いっきり叩いて、壁にゴキブリの型が残ってしまったことがあるからだ。現在、日本には50種類、236億匹のゴキブリがいるという。しかし、元々熱帯性なので北海道では生息できず、従って北海道にゴキブリはいない。少し前までは。今では繁華街を中心に生息しているらしい。

ゴキブリに天敵はいるのだろうか。都市伝説では、ゴキブリには天敵がいないので繁殖するという噂がある。もちろんこれは間違いで、ゴキブリには天敵がいる。だいたい、ゴキブリは食物連鎖の頂点にいないのだから、天敵などいくらでもいるのだ。

ヤモリ・アシタカグモ・ハエトリグモ・カマキリなどである。とくにアシタカグモ(右上)は、ゴキブリを主食とする大型のクモで、家中のゴキブリを食べつくすと、他の家に移動して、いなくなってしまうという便利な性質を持っている。
他には、ヘビ・ネコ・ムカデ・大型のカエル・ある種の蟻などであるが、ネコを除いては飼うのは無理だろう。私はネコが嫌いなのでヘビの部類に入れてある。
ちなみに、私は昆虫もダメなので、天敵を家の中で飼うわけにもいかない。そこで、こういう薬を使うことになる。この薬、「ゴキちゃんストップ」というふざけた名前だが、ゴキブリ駆除業者が使うゴキブリ業務用駆除薬である。細かいことはクリックして見て欲しい。多分、料金は発生しないと思う。


プロご用達のゴキブリ駆除薬はこちら

2017年9月26日火曜日

明智光秀の埋蔵金

この話は歴史上の説に基づいておりません。

時は1582年のことであった。尤も当時は西暦が伝わっていなかった。天正10年のことである。こう書けば知る人は何があったかおぼろげに分かると思う。だいたいからして、題名だけでどんな話かは想像できるかも知れない。 6月2日の真夜中のことである。

光秀は主君、織田信長に呼ばれて本能寺に夜這いに出かけたのである。しかし、気まぐれな信長のこと、そんなことは知らぬ顔。
「ええい、主君の蒲団に入ろうとするとは何事か!手討ちにしてくれるわ!」
光秀は信長の振り下ろす剣をかいくぐってほうほうの体で逃げ帰った。光秀にしてみれば、掘られるのは耐えれるが、殺されるのは納得行きかねたのだろう。

「信長の野郎。年下のくせに偉そうにしやがって(※1)」
こうなってくると、ネガティブ思考の光秀は過去のことをいちいち思い出すのだった。
「そういえば、なぜ猿などをとりたてるのじゃ。あやつは元々盗賊の子分ではないか※2」
そう思えば、羽柴秀吉も蜂須賀小六も憎い奴らである。明日になればまた信長に因縁をつけられるに違いない。
「今夜のうちに殺らなければ」
幸い唯一のライバル羽柴秀吉は岡山へ泥沼※3を作りに行っている。秀吉の方が人望があるから今宵はチャンスだ。

光秀は明け方に本能寺に奇襲をかけることとなる。ところが本能寺に着いてみると、既に誰かが奇襲をかけた後だ。これは、どうも秀吉の戦略らしい。光秀ははっと気づいた。
「秀吉は俺を狙ってくる。信長殺害の汚名を着せるために」

とにかくもタナボタ式に明智光秀は天下をとったのであった。

備中松山で泥沼を作っていた秀吉は、すぐに帰り自宅を始めた。この時、恵の雨が降って泥沼が普通の沼になったのであった。これで信長死亡の報は相手に届かない。城主を切腹させて部下を救うということで、和解し、秀吉は京に向かった。

光秀も秀吉が帰ってくるのは知っていたので、戦力を揃えて迎えうった。秀吉軍27,000に対して光秀軍16,000、しかもあてにしていた武将※4に断られ、不利になったら攻め込まれるかも知れない。実際に筒井順慶などは淀川の対岸の洞が峠まで兵を進めて、戦況を見て結局引き上げたのである。普通に戦えば確実に負けると思った光秀は、山が淀川に迫った山崎の地で戦うこととした。

光秀軍は秀吉軍に敗れ、敗走中の光秀は山中に逃げ結局討ち取られてしまった。竹槍で光秀を討ち取っとったところから、太平洋戦争では竹槍で戦おうとしたふしがある。敗走の途中で光秀が飲んだ湧き水はやがてサントリーウイスキーへと変わったのである。

しかしながら明智光秀は利口な男だった。山中なら道のないところを、平地なら街道を進んだに違いない。当然殺されたのは影武者である。この世に自分と同じ顔をした人は3人いると言うから、彼らを探してきたに違いない。軍資金をどこかへ隠したに違いない。不利な戦いになるのは分かっていたから逃げ道は必ず用意していた。光秀は明智村に撤退し、秀吉への恨みを抱いたまま、農業に勤しむのであった。

そして、ライバルの秀吉は天下をとったのだった。

明智光秀が軍資金を隠したとされるところは数多くある。私が見積もった額では約60億円である。見つけたら遊んで暮らせるかも?

※1:明智光秀は織田信長より5歳年上であった。
※2:秀吉は最初蜂須賀小六の子分だった。
※3:普通に戦えば勝てるのになぜ泥沼を作ったのかよく分からない。
※4:細川藤孝(光秀の娘婿)が中立になったのが誤算だった。


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