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2017年7月24日月曜日

須磨は名所であった


昔から須磨・明石と言われるように、須磨は全国的な名所の一つであった。短歌や和歌によくでてくるところである。短歌と和歌はどう違うのか分からへん。最近は神戸の街や北野町などが有名になっているが、時代の移り変わりと言うほかはない。内田康夫の浅見光彦シリーズに、「須磨明石」殺人事件 (角川文庫)というのもあるぐらい有名である。そういえば、浅見光彦も「いつまでも年を取らない人」の仲間である。

山陽電車の須磨浦公園駅で下車すると、ロープウェイがある。それに乗ると源平の合戦で有名な一の谷を見ながら山上駅に着く。そこから展望台まで見慣れない乗り物があるが、警戒してはいけない。歩いても大したことがないが乗る。私のように下半身に障害を持つ者にとっては有難い。多くの人に乗ってもらって、廃止にならないようにしてもらわなければ困る。下半身の障害と言っても息子は元気である。山頂は鉢伏山と言い眺めが良い。尾根の端のように思えるが多分気のせいである。北側の旗振山の尾根に見えても気にしてはいけない。

鉢伏山は六甲連山の西端に当たる。鉢伏山から南は急角度の斜面で海まで続いている。北を見てはいけない。山と海の間の狭いところを、JR山陽本線、山陽電車、国道2号線が通っている。山陽本線と山陽電車はコトコトと走り、時々新快速や特急列車がドッピューンと駆け抜ける。新幹線ができるまでは特急列車や急行列車がひっきりなしに走っていたところである。今は特急や急行の代わりに新快速が走ってる。夕暮れともなると明石海峡大橋の向こうに夕焼け空が見えて美しい。季節によれば橋に沈む夕日が見れるのだろうか?

さて、この辺りが、かつての名所であった。高木彬光の、人形はなぜ殺される、の舞台となった辺りでもある。別荘も多く建っていた。今でも別荘風の建物が残っている。
ここは、道路のすぐ脇をJRの特急急行専用線が通っていた。今、新快速が通っているところである。ここが当時の自殺の名所であった。日本でも有名な自殺の名所であったらしい。もちろん、列車への飛び込み自殺である。
今や、自殺の名所は、青木ヶ原樹海などになってしまった。青木ヶ原樹海は世界自殺名所のランキングに入っているほどである。そして須磨は、鉢伏山、須磨浦公園、海釣り公園、ちょっと離れて海水浴場や須磨水族園のある景色の良い観光地である。

自殺する気のない人は、須磨へ遊びに来てくださいね。


2017年6月9日金曜日

水害都市・神戸

神戸という街が兵庫県の南部にある。南部と言っても淡路島にあるわけではない。なぜか六甲山が海岸まで迫った窮屈な土地にある。最近は西神や北神など六甲山の西側や北側が発展中である。百万都市とはいえ、元々人間よりイノシシの数の方が多いところがあちこちにあるので、宅地開発はお手のものである。

さて六甲山であるが、普通の山であった。せいぜい木の枝を切って薪としたり、おじいさんが芝刈りをするぐらいだった。戦国時代にあちこちに城を建てたのが環境破壊の始まりである。木は切り倒され、合戦地となれば火をつけられたりして、ダメージが広がっていったのだ。荒れた土地に最初に自生したのはアカマツであった。
江戸時代になると、アカマツ林はマツタケを採るぐらいにしておけばよかったのだが、燃料用に切り倒してしまった。マツはマツヤニが採れるので文字通り根こそぎ掘り起こしてしまったのである。その結果、坂本龍馬が走り回っていた頃には、お寺の周囲以外は木がなくなってしまった。

現在でもあちこちにハゲ山はあるがたいてい岩盤が露出している。私はハゲ山からの景色が特に好きである。眺めがいいからである。山頂の眺めが悪いとがっかりである。明治時代後半になるとさすがにこれではいかんと思ったのか、植林事業が始まった。そして現在の山になったのかというとそうでもない。山火事や戦争、集中豪雨などでダメージを受け続け、現在の基礎が出来上がったのは昭和40年代である。

神戸は水害都市である。ハゲ山からは雨が降れば一気に水が集まってくる。髪の毛がある人はハゲ頭に比べて、頭を洗う時間がかかることを考えれば誰でも分かるだろう。一気に来るから土砂も流れてくる。堤防を築いても、山から砂が出てきて川底にたまるので、堤防を上げねばならない。悪循環の見本である。そして、六甲山南麓の川は天井川になった。

豪雨があると水が一気に集まってくる。ところが砂が溜まったあたりになると、水が流れにくくなり、水位が上昇してやがて堤防を越える。実際は川と言ってもそれほど大きな川ではないのだが、何しろ天井川である。一旦流れ出た水は川へ戻ることはない。かくして広範囲にわたって、水害がおこったのである。

昭和以降の水害は以下のとおりである。

昭和9年(1934)9月21日  室戸台風 床上2,547戸、床下7,919戸、死者6名。
昭和13年(1938)7月3日~5日  阪神大水害 住家流失1,497戸、埋没966戸、全壊2,658戸、半壊7,879戸、床上31,643戸、床下75,252戸、死者671名、行方不明24名、堤防決壊14、道路決壊69、橋梁流失57。
昭和14年(1939)8月1日 浸水14,165戸、死者2名、堤防決壊23。
昭和20年(1945)10月8日~11日  阿久根台風 河川決壊破損87、道路決壊破損141、橋梁被害61。
昭和21年(1946)6月18日~19日 河川決壊破損53、道路決壊破損46、橋梁流失破損12。
昭和25年(1950)9月3日  ジェーン台風 家屋全半壊1,067戸、流失39戸、床上58戸、床下2,682戸、堤防決壊44、道路破損70。
昭和28年(1953)6月7日 台風2号、浸水673戸、死者4名、堤防決壊37、道路破損30。
昭和28年(1953)9月25日 台風13号、家屋全半壊689戸、浸水1,047戸。
昭和36年(1961)6月24日~27日 家屋流失11戸、全壊140戸、半壊263戸、床上3,960戸、床下29,376戸、死者28名、行方不明3名、河川被害973、道路被害580、橋梁流失62。
昭和36年(1961)9月16日  第二室戸台風 家屋全半壊流失2,555戸、床上8,801戸、床下36,034戸、死者10名、河川被害1,756、砂防98、道路1,044、橋梁121、緊急砂防12。
昭和39年(1964)8月1日 死者2人、浸水14165戸
昭和40年(1965)9月10日 台風23号、家屋全半壊1,765戸、床上2,603戸、床下1,262戸。
昭和40年(1965)9月17日 台風24号、家屋全半壊176戸、床上102戸。
昭和42年(1967)7月9日  7月豪雨 家屋全壊367戸、半壊390戸、床上9,187戸、床下49,650戸、死者90名、行方不明8名、河川決壊29、溢水氾濫74、橋梁流失37、山くずれ141、がけくずれ168、道路崩壊162。
平成10年(1998)9月22日 新湊川水害、浸水
平成11年(1999)6月29日 新湊川水害 浸水
平成20年(2008)7月28日 都賀川水難事故 死者5名

現在はようやく草木の繁る山となったが、誰が植えたかヤシャブシが多量にある。ヤシャブシの花粉はハンノキ花粉症の原因となっている。ハンノキ花粉症はシラカバ花粉症と非常に近く、併発する場合もある。これらの花粉症は果物アレルギーも併発することがあるので、関西だからと安心してはいけない。場合によってはアナフィラキシーショックを起こすこともあるので気をつけよう。私もアレルギー体質である。他人事ではないのだ。


2017年4月24日月曜日

心霊スポットじゃないけど「奥摩耶ドライブウェイ」をたずねて

奥摩耶ドライブウェイはあまり知られていないが、六甲山牧場から摩耶山刀利天上寺までの3キロほどの道路である。


道路は割と整備されているが、あまり知られていない道路だから、あまり車が来ない。ハイキングコースは途中から車道を離れて尾根へと進むのだが、車道沿いに進むと妙にヤバそうな場所が存在する。

奥摩耶ドライブウェイ

お寺の駐車場かなんかじゃないかと思うんだが、カーブの外側にあって、木が茂っていて少し雰囲気も暗くなっていて、とにかくそのあたりである。あとは、杣谷峠付近もかなりヤバい。この辺りは、足が重くなって軽く気分が悪くなる。座り込むとどっと疲れがやってきて、妙に眠くなってくる。夕方が近づいてくるとさらにヤバい。たった3キロを歩くのに1時間以上かかったこともある。このときは、おかしいと思いながら歩いたが、林の中で景色があまり変わらないから、同じところをぐるぐる回ったような錯覚に陥った。

六甲山は都市伝説や心霊スポットの多い山だが、奥摩耶付近のはあまり知らない。もしかしたら心霊スポットはなっていてもおかしくないが、危険なので見に行かないよう、見に行くときは、塩と酒を持っていくのが良い。

それはそれとして、摩耶山上掬星台からの夜景は素晴らしくロマンチックで、彼女を口説くスポットとなっている。もっとも何組かは、この世のものではないかも知れないが。

掬星台(摩耶山)からの夜景(大阪方面)

2017年4月21日金曜日

六甲山の心霊スポット「摩耶観光ホテル」をたずねて

神戸の裏山に六甲山というのがある。神戸の人なら知っている人もいるだろう。阪神タイガースの応援歌にもなっている「六甲おろしに颯爽と・・・」の六甲山である。この六甲山とにかく都市伝説が多い。都市伝説の巣と言ってもいい。

さて、私は、都市伝説の中では有名な方の「摩耶観光ホテル」に行くことにした。別名「マヤカン」と呼ばれているこのスポットは要するに、一言でいえば山中の廃墟である。しかし、私が山を登り始めた頃にはホテルとして営業していた。ハイキング道がホテルのすぐ横を(敷地内かも)通るので、知っている。

摩耶観光ホテル(本物)
摩耶山に登るケーブルとロープウェイの乗継地点にある山中の巨大建造物である。営業をやめてから何年経ったのかは知らないが、かなり老朽化が進んでいた上に、阪神淡路大震災が追い打ちをかけて現在の姿になった。

私が行った時は立入禁止であった。入口はケーブル駅の脇にあるので、駅員に叱られる。だからマヤカンを探検する人は、下から山を登って来る。一番早いのが杣谷堰堤から尾根筋を登るのだが、坂がきつい。もうひとつは摩耶東谷の途中から斜面を登るのだが、坂がきつい。入口に「通行禁止」の立て札があるが、見てはいけない。摩耶東谷に至っては、「道はこれしかないやんか」というところに立て札がある。もちろん、見てはいけない。呪われる。

建物の中は荒れているが思ったほどではない。霊の目撃談はたくさんあるが、あまり感じないから、通りすがりの霊なのだろう。

私は帰りにケーブル駅に出ようと柵を乗り越えているところを駅員に見つかった。
「ここは、立入禁止や!」
「そんなもん、どこにも書いてなかった!」
「入れんように、柵があるやろ!」
「摩耶東谷に柵はなかった!」
「立入禁止の立て札があったやろ!」
「そんなん、見てない!」
ということで無罪放免となった。立入禁止の立て札を見なかったことが決め手になったのだ。

現在は、公式に「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」が催され外からの鑑賞が行われている一方、監視カメラが設置され厳しく管理されている。簡単に言えば、勝手に入ると叱られるのである。



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