2017年4月30日日曜日

逢魔時

逢魔時とは魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられたことから、このように表わされる。黄昏時のことである。

逢魔時は「何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」「著しく不吉な時間」を表していて、昼間の妖怪が出難い時間から、いよいよ彼らの本領発揮といった時間となることを表す。逢魔時の風情を描いたものとして、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』があり、夕暮れ時に実体化しようとしている魑魅魍魎を表す。

魑魅魍魎の百鬼夜行(名前付き)ーもしかしたら違うかもー

魑魅魍魎とは、人に害をなす化け物のことである。魑魅は山の化け物のことで、魍魎は水の化け物のことだ。なお、私利私欲を肥やす人のことも魑魅魍魎という。日本にはたくさんいるが、北の豚(=北の将軍様)ほどの大妖怪ではなく、小物である。

本物の魑魅魍魎の百鬼夜行はこちららしい

選挙がどうとか、学校がどうとか、豊洲市場がどうとか、オリンピックがどうとか。小物である。北の豚のように、「国民総生産の何%は俺のモノ」という輩はいない。もう余生も永くないので、好きにしてもいいが、北の人達は被害者である。都会では、ビルのような箱を作っているが、農村地帯ではいまだに竪穴式住居に住んでいると聞いた。嘘か本当か知らないが、そんな生活をしているのは世界中でここだけであろう。

2017年4月29日土曜日

六甲山にあるという「摩耶山史跡公園」をたずねて

摩耶山史跡公園もかなり怪しげなところらしい。霊を見たとか見なかったとか、見なかったら心霊スポットにはならない。摩耶山の南斜面にあり、ケーブルの駅から歩くとすぐに、石段の下に着くが石段がかなり長い。山登りに慣れた私でもうんざりする石段で、しかもこれを登ったら心霊スポットである。足が進まない。

摩耶山史跡公園(本堂跡)
ここはかつて摩耶山刀利天上寺のあったところだが、昭和50何年か頃に火事で全焼した。多分、タバコの火かなにかのせいだろうと書くと、喫煙者差別と言われるのだろう。しかも山頂までは奥摩耶ドライブウェイがあるが、そこから先はハイキングコースである。せいぜい1kmあるかないかだが、消防のホースは届かない。下からは車の通れる道はなく、しかも直下が長い石段である。消火作業さえできずに完全に灰になったらしい。

現在は斜面に何段かの空き地があるだけである。摩耶史跡公園というがただの野原である。南斜面で日がよくあたるせいか、明るい雰囲気で、あまり霊の気配を感じないが、少し陰に入るとさすがである。

ここでテントを張るとうるさいぐらいに霊の声が聞こえるらしいが、嬉しいことに、この日私はテントを持ってきてなかったので霊の声は確認できなかった。話によると夜も眠れないほど霊が騒ぐらしい。一晩中頭痛や吐き気などは嫌なので、ここでテントを張ることは一生ないだろう。

現在の摩耶山刀利天上寺
現在、摩耶山刀利天上寺は摩耶山横の摩耶別山に移築している。前よりかなり立派になっているが、費用はどこから出たのだろう。前は住職も常駐していなかったと思うのだが。

2017年4月28日金曜日

たそがれ症候群

なんとなく帰りたくなってくる
たそがれ症候群とは夕方になると「家に帰りたい」といって落ちつきがなくなる認知症の症状の1つである。
記憶が過去に戻ってしまい、声を荒げる、不機嫌になる、不安感が強くなる、過去に住んでいた自宅に戻ろうとする。施設に入所している患者だけでなく在宅患者に起こることもある。
症状が現れると目的なく徘徊し、転倒や骨折、失踪などの危険性が高まる原因ともなる。私の親戚で徘徊の末、用水路に落ちて死んだのがいる。夕暮れ症候群と呼ぶこともある。



対処法としては、夕方に好きなことをする時間を設けるようにする。例えば、お茶やお菓子などで気を引き、リラックスできる雰囲気を作り、夕方の空腹に伴うイライラ感を和らげる。照明を明るくして夕方と思えないようにするなど工夫する。

過去に記憶が戻っているなら、それを否定しない。「自宅に帰る」というなら、「送りましょう」といって、屋外を歩いてお茶を濁すだけで落ち着くこともある。

「今日は遅いから、明日帰りましょう」といって、「帰りたい」という本人の気持ちを受け止めたうえで、今は希望を叶えられない理由をつけて誤魔化すのも有効。翌日になればあらかたのことは忘れている。現実を押しつけることは、本人が混乱する。



2017年4月27日木曜日

「比叡山延暦寺」の霊障

私の中で心霊スポットNo.1が比叡山延暦寺である。信楽から大津市内を通って比叡山に向かった。私は比叡山に行ったことがなかったので、楽しみにしていた。


比叡山延暦寺はこんなとこらしい
大津市内を走っているときは元気だったのに、比叡山の登りにかかったところで、頭痛が。京都府との境界付近から高度を上げていけば、山頂に近づくにつれて気分は最悪。頭痛、吐き気、めまい、耳鳴り。とりあえず吐き気がひどく、駐車場のトイレに駆け込んで、嘔吐。座るところがあったので、とにかく座って半分眠ったようで意識が半分とんで行った状態だった。

私の仲間たちは、人のことは構わずに、
「先に延暦寺にいっとくで」
と言って、自分たちだけで延暦寺に行ってしまった。頼りにならない連中だ。小一時間で全員が戻ってきたが、私はトイレと休憩場の往復から逃げられない。
「ここまで来たのに、結局見ないんか」
なんて言われても見に行けるわけがない。いまだにゲロゲロやっているのがわからんのか?
「さあ、次、行くで。そんなとこに座っとかんと、早う車に乗れ」
薄情な連中だが、仕方ないので車に乗った。エチケット袋を用意しておいた。

昔から、心霊スポットに行くと時々同じようなことがあったが、
「車に弱いんか」
とか、
「二日酔いするほど飲むな」
などと言われていた。午前中元気で昼から突然二日酔いになるわけないだろう!

比叡山から下ると、なぜか頭痛はすっかり治まり、吐き気も耳鳴りもなくなった。少しめまいがした。比叡山は恐ろしい。

日本中に似たような寺社仏閣もあるので気をつけよう。紛らわしいものを上げておこう。


比叡山延暦寺である。世界遺産である。
滋賀県大津市
危険






よく似ているが、富士山本宮浅間大社である。
これも世界遺産だったかな?
静岡県富士宮市
奥宮は富士山頂にある。
行ったことがない




なんとなく似ているが平安神宮である。
もちろん世界遺産である。
京都府京都市
この付近はやや危険




そこはかとなく似ているが宇佐神宮である。
残念だが世界遺産ではない。
大分県宇佐市
八幡さんの総本山。
行ったことがない
これは、宮島の厳島神社。世界遺産である。
広島県廿日市市(ハツカイチシと読む)
安全





なんとなく似ているような気もするが四天王寺である。
世界遺産ではない。
大阪府大阪市
安全




あんまり似ていない。赤間神宮。世界遺産ではない。
竜宮城を模して作られている。
山口県下関市
耳なし芳一の伝説がある。
少し危険





地主神社である。
縁結びの神様で特に女性に人気が高い。世界遺産である。
清水寺の奥にあり、清水寺の入場料を払わないと行くことができない不思議な神社である。
京都府京都市
安全






2017年4月26日水曜日

兵庫のロマンチック街道「淡路サンセットライン」

黄昏とは、元々日没から夕焼けが消えるまでの時間帯を言うが、現在ではもっちょっと曖昧になって、単に夕暮れ時を示すようである。

かなり有名になってしまったが、淡路島の西岸を通る道路を「淡路サンセットライン」という。天草や能登にもサンセットラインがあるので、「淡路サンセットライン」と呼ぶ。興味のある人は、天草や能登にも行って、淡路と比べてみよう。

「淡路サンセットライン」淡路島の南から北へ県道31号線を走るドライブコースである。三原インターまたは淡路島南インターから県道31号線へ、片側1車線だが割りに走りやすい道だ。淡路島を縦断する高速道路があるので、県道31号線の交通量は少し減った感がある。

しかし、海を見ながらのんびりドライブをしてはいけない。よそ見運転は危険である。道路沿いに特に駐車場があるわけではないので、適当に車を停めて「ぼー」と日が沈んでいくのを見るのがよい。私などは30分以上も見ていたこともあった。



小豆島に沈む夕日
淡路島の一番北は「松帆の浦」である。小倉百人一首にもある、
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」
の「まつほの浦」である。

「松帆の浦」に着くころにはすっかりと日が暮れていることだろう。このあたりからは、明石大橋の明りが美しい。さっさと帰る前に、「日帰り温泉施設・美湯松帆の郷」によっていこう。昔行った時には、男女どちらかの露天風呂から明石大橋が見える。今は両方から見えるようになっているかも知れない。レストランもあるので食事もしていこう。ここから淡路インターへはすぐなので、事故に気をつけてゆっくりと橋を渡ろう。左に明石の町が、右向うに神戸の町の明りが美しい。





2017年4月24日月曜日

心霊スポットじゃないけど「奥摩耶ドライブウェイ」をたずねて

奥摩耶ドライブウェイはあまり知られていないが、六甲山牧場から摩耶山刀利天上寺までの3キロほどの道路である。


道路は割と整備されているが、あまり知られていない道路だから、あまり車が来ない。ハイキングコースは途中から車道を離れて尾根へと進むのだが、車道沿いに進むと妙にヤバそうな場所が存在する。

奥摩耶ドライブウェイ

お寺の駐車場かなんかじゃないかと思うんだが、カーブの外側にあって、木が茂っていて少し雰囲気も暗くなっていて、とにかくそのあたりである。あとは、杣谷峠付近もかなりヤバい。この辺りは、足が重くなって軽く気分が悪くなる。座り込むとどっと疲れがやってきて、妙に眠くなってくる。夕方が近づいてくるとさらにヤバい。たった3キロを歩くのに1時間以上かかったこともある。このときは、おかしいと思いながら歩いたが、林の中で景色があまり変わらないから、同じところをぐるぐる回ったような錯覚に陥った。

六甲山は都市伝説や心霊スポットの多い山だが、奥摩耶付近のはあまり知らない。もしかしたら心霊スポットはなっていてもおかしくないが、危険なので見に行かないよう、見に行くときは、塩と酒を持っていくのが良い。

それはそれとして、摩耶山上掬星台からの夜景は素晴らしくロマンチックで、彼女を口説くスポットとなっている。もっとも何組かは、この世のものではないかも知れないが。

掬星台(摩耶山)からの夜景(大阪方面)

2017年4月23日日曜日

日本有数の心霊スポット「お菊井戸」をたずねて

お菊井戸の話は姫路城が一番有名で、「播州皿屋敷」という話で知られている。姫路城のお菊井戸は実際にあって、日本有数の心霊スポットとなっている。世界遺産で国宝の心霊スポットである。この話は『播州皿屋敷実録』に詳しいが、脚色部分が多い。

姫路城第9代城主小寺則職の代(永正16年1519年以降)、家臣青山鉄山がお城乗っ取りを企てた。これを忠臣・衣笠元信が気付き、妾のお菊を鉄山の家の女中にし、計略を探らせた。そして、元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺する計画を突き止め、花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠し再起を図った。

お菊井戸
乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四郎に調査するように命令した。程なく弾四郎は密告者がお菊であることを突き止めた。以前からお菊のことが好きだった弾四郎は妾になれと言い寄ったがお菊は拒否した。立腹した弾四郎は、お菊が管理を任されていた家宝の10枚の皿「こもがえの具足皿」の内、一枚をわざと隠してお菊にその責任をなすりつけ、責め殺して古井戸に捨てた。 以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。

これが「お菊井戸」の話である。今でも皿を数える声が聞こえるという噂がある。先日行った時は周りに人が大勢いたせいか、なにも感じなかった。

姫路城に行った時には寄ってみると良い。天守閣を登った後の順路になっている。もしかしたら、皿を数える声が・・・


2017年4月22日土曜日

夕映え 1997年


たまに、黄昏の唄も紹介していきましょう。今回は「夕映え」 1997年 Le Couple




1997年のヒット曲「ひだまりの詩」(累計売上155.4万枚)のカップリング曲です。
Le Couple はカップルの意味で、夫婦の音楽ユニットでした。
2005年、ユニット解散。
2007年、離婚。

2017年4月21日金曜日

六甲山の心霊スポット「摩耶観光ホテル」をたずねて

神戸の裏山に六甲山というのがある。神戸の人なら知っている人もいるだろう。阪神タイガースの応援歌にもなっている「六甲おろしに颯爽と・・・」の六甲山である。この六甲山とにかく都市伝説が多い。都市伝説の巣と言ってもいい。

さて、私は、都市伝説の中では有名な方の「摩耶観光ホテル」に行くことにした。別名「マヤカン」と呼ばれているこのスポットは要するに、一言でいえば山中の廃墟である。しかし、私が山を登り始めた頃にはホテルとして営業していた。ハイキング道がホテルのすぐ横を(敷地内かも)通るので、知っている。

摩耶観光ホテル(本物)
摩耶山に登るケーブルとロープウェイの乗継地点にある山中の巨大建造物である。営業をやめてから何年経ったのかは知らないが、かなり老朽化が進んでいた上に、阪神淡路大震災が追い打ちをかけて現在の姿になった。

私が行った時は立入禁止であった。入口はケーブル駅の脇にあるので、駅員に叱られる。だからマヤカンを探検する人は、下から山を登って来る。一番早いのが杣谷堰堤から尾根筋を登るのだが、坂がきつい。もうひとつは摩耶東谷の途中から斜面を登るのだが、坂がきつい。入口に「通行禁止」の立て札があるが、見てはいけない。摩耶東谷に至っては、「道はこれしかないやんか」というところに立て札がある。もちろん、見てはいけない。呪われる。

建物の中は荒れているが思ったほどではない。霊の目撃談はたくさんあるが、あまり感じないから、通りすがりの霊なのだろう。

私は帰りにケーブル駅に出ようと柵を乗り越えているところを駅員に見つかった。
「ここは、立入禁止や!」
「そんなもん、どこにも書いてなかった!」
「入れんように、柵があるやろ!」
「摩耶東谷に柵はなかった!」
「立入禁止の立て札があったやろ!」
「そんなん、見てない!」
ということで無罪放免となった。立入禁止の立て札を見なかったことが決め手になったのだ。

現在は、公式に「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」が催され外からの鑑賞が行われている一方、監視カメラが設置され厳しく管理されている。簡単に言えば、勝手に入ると叱られるのである。



2017年4月20日木曜日

呪われた袋小路

うちの家がある路地は行き止まりになっている。その手前にアパートと一軒家が2棟あるのだが、うちの家までが人間界で、それより奥は霊界と繋がっているようである。アパートでは私が住み始めてから(と言っても30年くらいになるのだが)、知る限りで4人の人が変死している。首吊りが2人、割腹自殺が1人、あと一人はなんだかわからなくなってしまった。

一軒家の方もそれに劣らず不気味である。奥にある家の一家はある日一夜にして、突然全員が消えてしまった。霊界に引きずり込まれたに違いない。一度、長男を街で見かけた人がいるらしいといううわさがあるが、気のせいだろう。
その手前の家には二階に悪魔が住んでいる。私が越してきてからずっと住んでいる。悪魔は夜になると行動を起こす。悪魔はベランダをトイレの代わりにしている。悪魔は私が窓を開けて風呂に入っていると覗きにくる。悪魔は引きこもりである。私がこの家に越してきてから30年、ずっと引きこもっている。我々は霊界に引きずり込まれないように、緊張した日々を送っている。

先日、救急車がうちの裏の袋小路にやってきた。時間は定かでない。ピーポーの音もさせずに静かにやってきた。妻によると途中までは音がしていたので、交通事故だと思ったが、うちの裏の袋小路に入ってきた。そうこうしている間に変なワゴンがやってきて、テレビで見たような鑑識課がやってきた、よく考えてみると鑑識課かどうかは私には分からない。どうも2階らしい。部屋番号を言うのが聞こえてしまったが、さすがに書くわけにはいかないだろう。階段を登る足音が聞こえて・・・
悪魔の住む館、一夜にして消えた一家、4人もの不審死を出しているアパート。もしかすると、アパートの5人目の被害者なのかも知れない。


たぶん幽霊アパート
どうもアパートの2階のあの部屋に灯りが見える気がする。そういえば、気候のせいか、熱のせいか、それとも霊のせいかは分からないが、背筋にオカンが走る。オカンと言っても、母親のことでも温めた日本酒のことでもない。漢字で書けば悪寒。ついでに軽い吐き気が。霊障か。
あの部屋は確か先日にパトカーが来た部屋。あそこの次の住人は知らない間にいなくなって、今は誰もいないはず。どうやら霊が増えたのかも知れない。そこは、知る人ぞ知る霊域がある。トワイライトゾーンである。人間の手が届かない世界があるのだ。これから、この袋小路のことを「人生のイキドマリ」とよぶことにしよう。

今日も、袋小路を歩いてみると、風邪でもないのに、今日も背筋に悪寒が・・・・


2017年4月19日水曜日

JR神戸線朝霧駅

私の実家から車で15分ほど行くと朝霧駅がある。
実家から朝霧駅に行くより、明石駅に行った方が近い上に、電車の本数も多いので、降りたことは2~3回ほどしかない。
そのぐらい朝霧は田舎なのだという気はさらさらない。
実家の方が明らかに田舎である。

朝霧駅は崖の下にあり、改札が山側にしかない。
海がしっかり見えているのに、海側に降りられないという不自由な駅であった。
しかし海側にはほとんど人が住んでいなかったのでそんなもんどうでもよかったのだ。
月日は流れ海岸沿いが開発され、公園になった。
並行する山陽電車からは海岸に出られるのだが、JRも負けてはいけないと海岸に出る歩道橋を作った。
朝霧駅改札のすぐ横から歩道橋となるので便利である。はずだった。

2001年7月21日の黄昏時のことである。
死者11人・重軽傷者247人を出した花火大会歩道橋事故があった。
歩道橋を歩いてみればわかるが、とても200人も入るとは思えない。
朝霧駅から歩いて突き当りの右側に例のやつがいる。
この歩道橋は2回ほど渡ったが、このあたりで気分が悪くなるので何かいるに違いない。
日中でこれであるから、夕方以降はどうなるのか行きたくない。

多分、頭痛・吐き気・耳鳴り・昏倒となるに違いない。
私は霊障という名の霊感体質なのだ。
霊に逢うたびにこんな目にあうのだからたまったものではない。
妻などは霊がいるかどうかを判断するのに私を使っている。
「超能力」というが、こんな能力いらんわ。

とにかく、大蔵海岸は変である。陥没事故も起こってるし・・・
心霊スポットになっているかどうかは知らないが、危険な場所である。
みんなで見に行こう。
心霊写真位は撮れるかも知れない。

2017年4月18日火曜日

黄昏迄 1981年

黄昏を歌った曲はたくさんあります。トップですのでちょっと格好をつけますが、曲紹介のブログにするつもりはありません。

これは、知っている人は知っているが、知らない人は多分知らない曲です。1981年アルバム『うつろひ』にある曲ですが、1988年CDシングル『風に立つライオン』のカップリング曲にもなっています。




たそがれの海を見ながら亡くなった恋人を懐かしむ歌で、人気の高い曲です。

黄昏迄

詩・曲 さだまさし

海を見下ろす丘の上は
何時でも向い風が吹いて
空と海の青と思い出とが一列に並ぶ

君が愛していた仔犬は
あれから大きく育って
今僕の側で一緒に海鳴りを聴いてる

黄金色(きんいろ)の波の上を帆影がひとつ
ふたつ港へと還ってゆく

昔君と約束していた
二人して年老いたならば
世界中を船で廻ろうと
飽きる程一緒に居ようと

突然に海に帰った君を
追いかけて僕の心が鴎になって舞い上がる

黄昏迄風に吹かれたい
ぬくもりを懐かしむ様に
寄せて返す波を見ていたい
いつまでも漂いたい

黄昏迄海を見ていたい
ぬくもりを懐かしむ様に
寄せて返す君を見ていたい
いつまでもいつまでも

ストレスケア