前に「かごめかごめ」について書いたような気がするが、認知症が進んでいるのかどうもよく覚えていない。それはまあともかくとして「通りゃんせ」も謎の多い歌である。
斎藤澪という推理作家をご存じだろうか。推理マニアならそれなりに知っているだろうが、そうでない人はそれなりに知らないだろう。第1回の横溝正史賞を受賞しているが、「この子の七つのお祝いに」でデビューしている。ちなみに横溝正史賞は、推理小説の新人賞に当たる。
斎藤澪は推理作家だがかなりホラーに近いものも書いていて、全体に暗い作品が多い。「この子の七つのお祝いに」もかなり恐ろしい話に仕上がっている。好きな人は読んでみるのもいいが、うつ病の人は読まない方がいいんじゃないかと思う。ここでネタばらしをしてしまうと叱られそうなので、この推理小説はこれ以上言及しない。
歌詞はだいたいの人は知っていると思うが、実は作詞家は不明である。「本居長世」とも「野口雨情」とも言われている。
『通りゃんせ』 作詞・作曲 不詳
通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細通じゃ 天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
素直に読めば、七五三に天神様にお札を納めに行った歌なのだが、後半に出てくる、「行きはよいよい、帰りは怖い」のところにいろいろな怖い解釈があるようだ。
・「子殺し」「間引き」の歌
昔は、貧しい家の子は、育てるのに金がかかるので殺すところがあったそうな。子供を一人殺すと、「こけし=子消し」を作った。人間というのは年中発情期の上、避妊の知識もない時代のことだ。いくらでも子供ができる。避妊具は偉大なる発明である。しかし、中絶なども含めると今の方がはるかに多い気もするが・・・
・城内に天神様があった歌
城内の天神様をお参りに行くと、行くときはいいが、帰るときは携帯品を何度も城の警護の者に調べられたので、「帰りはこわい」となった。
・最後にひとり捕まえる歌
「通りゃんせ」の遊びは最後にひとり捕まえる。天神様に遊びに行ったが、帰りには天神様にいる何者かにひとり捕まるという。何もそんなに怖いところで遊ばなくてもいいと思うのだが・・・
・東日本の歌
東日本では「こわい=疲れる」というところが結構多いようだ。帰りはさすがに疲れたという意味だという。
・七歳までは神様の歌
七歳までは神様と考えられていたから、天神様に「七つになりましたよ」と報告に行くと、「もう私の加護はいらんな」となった。帰りには天神様のご加護がなくなるので、「怖い」となった。
童謡には不気味なものが多い。またネタにしていこう。
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