大昔このあたりに夫婦の牡鹿と牝鹿が住んでいた。ある日、牡鹿は牝鹿をこの地に残して海を渡り島へ行ってしまった。
夫が行ってしまったので、牝鹿は会いたい会いたいと涙で枕を濡らすのであった。
とある漁師が漁に出ようと船を漕いで沖に出ようとしたとき、海岸に自分を呼ぶ若い女の姿を見つけた。男はいつでもスケベなものである。漁師はその女を船に乗せてやることにした。女は家島へ行きたいと言う。
漁師は家島の方へ船を進めたが、もうすぐ家島群島というあたりで、若い女をふと見た。すると、なんということか、女は鹿に変わっていたのであった。女は鹿の化身であった。なぜ家島群島に到着するまで、人間の姿でいなかったのかという疑問は当然残る。例えばウルトラマンのように3分しか持たなかったのかも知れない。
漁師は驚いて櫂で鹿を殴って殺す。若い牝鹿となれば、バンビのように可愛かったに違いない。驚いたからと言って殴り殺すとは万死に値する行為である。すると空がにわかにかき曇り、暴風雨となった。漁師は鹿の死骸を海に捨てると明石あたりの海岸に流され、ようやく難を逃れることとなった。万死に値する行為を行った漁師が、生きて再び地を踏むことに違和感を感じる人がいるかも知れないが、祖母はかなりいいかげんな人だった。
やがて、人々は鹿の化身の女が立っていた海岸を「妻鹿」と呼ぶようになり、家島群島の妻鹿よりの大きな島を「男鹿島」と呼ぶようになった。こう聞くと「なるほど」と思う人もいるかも知れないが、何しろ出どころの怪しい話である。「妻鹿」に対するなら「夫鹿島」が正しいのではないかという気もする。
男鹿島 |
漁師が鹿の死骸を海に捨てた場所は、「鹿の瀬」と呼ばれる漁場であるが、播磨灘の中央付近である。鹿の血が流れて赤い石となったと言われる赤石が、林崎松江海岸にある。これが明石という地名になったらしい。
鹿の死骸は林崎の海岸に打ち上げられ、宝蔵寺に手厚く葬られた。やがて牝鹿の塚から松が生え、「牝鹿の松」と呼ばれる名松となった。この宝蔵寺は、漁師の網にかかった毘沙門天を祀った、古くからある由緒正しいお寺である。現存している。
この宝蔵寺から隠れキリシタンの壁に埋め込まれたマリア観音の十字架が発見されたのは、まだまだ先、昭和40年頃のことである。
マリア観音 |
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